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 国際障害分類Web版 2001/11/26

「国際障害分類改訂版」に関する報告 ――― 三つの提言
(社)東京都身体障害者団体連合会国際部部長 阪本英樹

- 「身体障害者」とはどういう意味なのか?
- そもそも「障害」とはなにか?
- どのように障害を分類したらよいのか?
- 障害を分類したらどうするのか?

これらの素朴な質問に対し、ここ十数年来、既成の「障害者」や「障害」の定義と違った新しい見方が行政側や障害者の当事者側など各方面から提示されてきました。そして、様々な方々がいろいろな視点から時間をかけて議論を積み重ね、検討し続けた結果、最近これらの定義について、ある国際的な統一見解が示され、ついに国際社会で正式に承認されました。今年5月に開かれたWHO総会にて、" International classification of functioning, disability and health"(日本語訳「国際障害分類改訂版」。以下、『改訂版』と省略。)が採択され、各方面に大きな影響を及ぼし始めています。21世紀の幕開けの年に誠に相応しい出来事と言えます。

さる6月25日、私は新宿・戸山サンライズで行われた『改訂版』に関する説明会(JANNET研究会)に参加し、その後も自分なりに関連資料を収集し、その内容を吟味してきました。

『改訂版』の目的について、上田敏先生は6月25日説明会の席で次のように強調されました。

「障害論・障害分類は障害のある人の現状を「解釈」するためではなく、よりよい方向に「変える」ためにこそある。」

当日、私は2時間半に及ぶ上田先生による熱心な説明を傾聴しながら、上に引用した言葉に大きな感銘を受けました。そして、関連資料を精読するにつれ、『改訂版』がもつ意義への理解を深めていきました。

ここに『改訂版』の意義と内容について紹介させていただき、併せて三つの提言をさせていただきます。

意義と特徴

今回の「国際障害分類改訂版」の意義や特徴について、以下の幾つかの点が挙げられます。

① 世界的に共通したルール(調査モデル&言語)ができたこと。
② 障害者をマイナス面の存在として捉えるのではなく、プラス面を強調したこと。(例えば、用語はすべて「中立的な表現」を使うか、または書き換えられている。)
③ 障害者の基本的状況が把握できるように細かく考慮されていること。(例えば、日本の「国勢調査」の障害者版のような印象である。)
④ その目的が障害者の現状をよりよい方向に変えるためにあること。
⑤ 改定作業が「当事者参加」の原則が貫かれこと。

「身体障害者」とはどういう意味なのか?

冒頭に掲げた質問の中に、「身体障害者とはどういう意味なのか」がありましたが、この問題は裏返せば、「健康とはなにか」という問題に結びつきます。今回の『改訂版』の扱う範囲は明確に「全ての人に関する分類である」と記されています。つまり、その対象範囲は普遍的であり、一部のいわゆる「障害者」だけのものではない、という点にまず注目すべきだと思います。
わが国は諸外国に比べて、障害者の定義が厳しいと言われています。なぜならば、わが国で『障害者』とは、一般に法令で定められ、何らかの形で行政の支援を受けることができる障害をもつ人を指すことが多いからです。もっとも分かりやすい実例は、『身体障害者手帳』所持者か否かによって、「障害者」または「健常者」を区別しています。
これに対し、欧米などの諸外国では、行政の支援を受ける、受けないにかかわらず、実質的に障害があればすなわち「障害者」であると認められています。この違いは、日本と諸外国の福祉施策の比較を行う場合に極めて大切なポイントでありますが、しばしば見落とされがちになっています。つまり、欧米から日本に輸入されている「ノーマライゼーション」や「バリアフリー」という基本理念は、元来一部の「障害者」にのみ限定して使われているものではなく、それらの言葉の背後には障害者にも健常者にも適応する普遍性が含まれていました。この点については、今回の『改訂版』によって鮮明に浮き彫りにされていると言えます。

そもそも「障害」とはなにか?

『改訂版』の具体的な内容(相互関係)は下図の通りです。



ここでは、「身体障害」(以下、「障害」と略す)という現象を個々人の機能障害という個別な事象として捉えるのではなく、「環境的要素」(=環境因子)と「個人的要素」(=個人因子)の両面から「障害」を総合的に、多次元的に捉えようとしている点がもうひとつの特徴です。
次に、「障害」を『改訂版』ではどのように捉えられているのかを具体例を通して示しておきます。
例えば、ある方が交通事故により脊椎損傷の後遺症が残り、『障害者手帳』第1種3級と判定されたとします。日常生活では車椅子を使用していますが、かろうじて杖を使って近所を歩行することもできるとします。
その方の住まいが九州南部だとすれば、杖での歩行は年中可能ですが、雪が多い北海道にお住まいならば、年間の半分は事実上杖での歩行はできなくなります。また、車椅子が使える範囲もかなり狭まることになります。雪道での車椅子操作にはそれなりの環境整備が必要であり、また、北国では冬は厚着になりますから、動作がどうしても鈍くなりがちです。車椅子や杖での歩行が両方とも思うようにできず、自宅に閉じこもりがちになっているこの障害者は、事実上『障害者手帳』第1種1級の方と同じ障害を持つことになります。不利な環境因子がその人の日常生活の活動範囲を制限し、身体機能を低下させ、社会参加を拒んでいると言えましょう。
このように、同じ障害程度をもっていても、個々の障害者の住まいが九州の南なのか、あるいは北海道なのかによって、「障害」の度合いが著しく変化する場合があります。従って、当たり前のことですが、個々人に対するケアプランの内容も自ら違ってきます。ここがポイントであり、これまでの障害認定の際に見逃がされていた点です。
もし障害の認定がその障害者の自立を支援し、その社会参加を促進するものであるならば、個々人の疾病による後遺障害の度合いを明確にするだけでなく、同時に、それぞれの自立を妨げ、社会参加を拒む「環境因子」を明らかにし、それらを取り除くことも必要です。その「道しるべ」もしくは「指針」と成りうるものがすなわち今回の『改訂版』なのです。
上述したように、『改訂版』はより広い視野と高い次元から「障害」を捉える見識が示されています。つまり、障害を生み出す原因をただ単に疾病およびその後遺症のみから捉えるのではなく、高齢化による障害(身体の不自由さの増大=運動機能の低下)や妊娠・出産等による社会生活の不都合、傷病による一時的な日常生活行動の制約などを含む様々な要素(=環境因子)から捉えようとしています。障害はただ単に疾病及びその後遺症によって作り出されるではなく、「障害は環境によっても異なる」という概念をはじめて国連の公式文書に盛り込みました。この概念が持つ意義は、いまから約10年前に米国で作られた『ADA法(「障害を持つアメリカ人法」)』と比べると、人類全体をも視野に入れた普遍的なものである故に、より深い価値を内包しています。このため、この概念は日本やアジア各国に強い影響力を持つようになると考えられます。

『改訂版』は、将来身体に障害を持つ者があらゆる社会活動に全面的に参加するための、社会的、制度的、経済的保障の理論的・哲学的・実践的根拠を示している点で画期的だと言えます。また、日本における新しい福祉社会の構築及び更なる活動展開についても、数多くの具体的な可能性(方法論)を示唆しています。

提言1:「障害者」の呼び名を「先験者」に

上述した内容を踏まえて、これまでもしばしば物議をかもしてきた「障害者」という呼び名を「先験者」に改めるよう提言します。

身体に一部障害を持つ者に対する呼び方について、国内、国外にかかわらず、ずっと大きな議論を呼び起こしてきました。英語の「障害者」の「障害」を指す言葉に「Disability」というのがありますが、この言葉はそもそも「Ability(能力)」に由来しています。つまり「能力=適性や技能など」の打ち消し語(否定語)としてこの言葉が作られました。従って、『改訂版』の改定指針に「用語はすべて「中立的な表現」を使うか、または書き換えられるべき」と訴えている以上、この言葉はしばしば議論の対象となりました。
上田先生のご説明によりますと、「Disability」という用語が世界中の社会政策文書や法律文書、その他の重要分野で定着しているため、やむを得ず引き続き今回も使用することとなったようです。ただし、この言葉はこれまでに「能力障害」として使われてきたのに対し、今後は「機能障害(構造障害を含む)」・「活動制限」・「参加制約」の三つの次元を同時に表す包括用語として使用する、と『改訂版』は規定しています。
『改訂版』によりますと、いわゆる「障害者」とは「全人類に適応すべき概念であって、一部の特別な人々にのみ適応するのではない」と明記されています。つまり、人間として生まれ、成長し、やがて老いを迎えていく人生の全プロセスにおいて、すべての人々が身体に何らかの「障害」(健康な状態を害することを指す)を背負うことが運命付けられています。ただ「いつ障害を背負うのか」、「どの程度の障害になるのか」は、人によってそれぞれであり、それこそ千差万別です。繰り返しになりますが、上述した新しい国際基準は、こうした「障害」の分類について人類に共通の見識と具体的な方法を示しています。
ただし、『改訂版』の基本的精神やその基準は、障害者になったから人間として何か特権を与えたり、特別扱いを受けさせたりすることを公認したりするものでは決してありません。むしろ、その正反対で、障害を持つ人も、いまのところ持っていない人もお互いに人間として対等に理解し合い、学び合い、共に成長していくべきだと指し示しています。いわば21世紀版「ルネサンス(人間性の復活)宣言」のようなものです。
私がここに提言している「先験者」という新しい言葉は、日本語による造語です。人生の中で何らかの不自由を被った者は、ある意味では「不自由=障害」を健康状態の人々よりも一足早く経験したことになります。そういう意味からこのように名付けました。行政の支援を受ける、受けないにかかわらず、実質的に身体に何らかの障害が生じれば、すなわち「先験者」になります。さらに、関連する新造語を下記の通り列挙しておきます。
* 未験者=健常者
* 先験者=65歳以前に身体に何らかの障害が生じた者
* 重験者=66歳以降に身体に何らかの障害が生じた者=高齢者+障害者
『改訂版』に示されている見識は、わが国のように『障害者手帳』を持っているだけで何か特別な存在になったり、なった気がしたりしている現状との間に確かに大きなギャップが存在しています。しかし、やがてこのギャップも徐々に是正されていくものだと考えています。先験者及び「先験予備者=健常者」は共に国の福祉政策の対象になるべきです。福祉の恩恵を被るのは一部の『障害者手帳』保持者に限定するという既成概念はもはや是正されるべき時期に来ています。「障害者」対「健常者」という対立概念は偏見を生み出す温床であり、「共に生きる社会」の形成を拒むものだと言えましょう。わが国の障害者認定制度の全面的、包括的な見直しがいま認められているように思います。
因みに、福祉行政全般が進んでいる欧米では、いわゆる『障害者手帳』のようなものはありません。世界的に見ても、そういった一部の人のみ「障害者(児)」として公認し、「健常者」と区別する施策や扱い方をする国々は減少していく方向にあります。なぜならば、そのような施策は世界的な動向に照らし合わせて逆行しているからです。
もっとも、「障害」をどう呼ぼうと、それは客観的に存在する現象または事象であることに変わりはありません。しかし、「障害者」という極めて不名誉なラベルによって、ひどく傷つけられ、悩み苦しんできた人は決して私一人ではない筈です。「邪魔者ではなく、社会の一員である、またはそうでありたい」という気持ちを込めて、ここに、「障害者」の代わりに「先験者」という呼び名を敢えて提言いたしました。
呼び名はただ用語の問題だけでなく、障害に対する周りの方々や社会一般の態度の問題と直結しています。言葉が変わることによって、社会の理解や認識も変わることも充分あり得ることです。

提言2:応用ソフトの開発と人材育成こそが急務

「国際障害分類」に関しては、その概念が日本でも医学的リハビリテーション関係職のテキストで紹介され、社会福祉士や障害者職業カウンセラーの国家試験にしばしば出題されているようですが、残念ながら社会的に広く活用されてきたとは言い難い状況です。
今回『改訂版』の内容を精読した結果、IT技術を駆使して調査を行い、各関連団体がお互いに連携すれば、個々の先験者(=障害者)の現状を「よりよい方向に『変える』ために」相当多くのことができる、と思えるようになりました。
つまり、先験者を対象とする調査データの採取、分析から改善提案につなぎ、さらにケアプランの作成・実施管理・評価までを内包する応用ソフトの製作が可能になるのでは、と感じました。「障害」の分類作業を単なる統計データ一の収集に終わらせずに、一つの連続した流れ(Work Flow)として捉え、半ば自動的に解決策(ソリューション)までを引き出せるような仕組みができれば、と考えています。
ここでいう「半ば自動的に」というのはデータベース化によりいままで蓄積された様々な障害ケースに対応する参考事例が簡単に検索でき、活用されることを意味しています。言い換えれば、われわれがIT技術を駆使して、様々な専門知識を結集させ、当事者本人及び関係者たちと協業しながら「改善目標」を作り出すための、誰でも使える汎用ソフトを開発することができるのではないか、と考えています。また、「改善目標」を実現するために「誰が、何を、いつまで、どうすれば良いのか」を具体的に提示する「改善計画」汎用ソフトを開発することも必要になるでしょう。
『改訂版』という世界標準を適用させる対象として、まず、介護保険制度が挙げられます。それから、各地域で官民揃って取り組んでいる「福祉のまちづくり」活動にも適用できるでしょう。さらに、日身連をはじめ各障害者団体に適用して、組織活動を活性化させる道具としても、その効果は充分期待できるでしょう。
もっとも、このようなソフトを開発することも必要ですが、開発されたソフトを使いこなせる人材を育成するのはより大切なことだと言えます。『改訂版』作りの過程で強調されてきた当事者の参加精神が、『改訂版』の普及と活用にも大いに発揮されることが必要不可欠です。ADA法等を参考にしながら、当事者が参加しやすくなるような制度面や環境面での整備・充実を計ることが人材育成の前提条件であり、早急に解決すべき急務です。

提言3:体験としての「障害福祉学」を確立させる

戦後から今日に至るまで、日本の障害福祉学は基本的にアメリカやヨーロッパからの強い影響を受けながら、わが国特有の歴史的、文化的土壌の中で形成されてきました。
しかし、21世紀に入り、世界が大きく変化する中で、日本が直面している社会的環境も大きく変わろうとしています。旧来の「障害福祉学」の枠組みでは捉えきれない様々な事象が次から次へと生じてきています。その一つに先験者(=障害者)の社会参加が挙げられます。しかし、法定雇用率に代表される法制度の整備等にも関わらず、わが国には社会参加を拒む要素がまだ多く残されているのが現状です。それらの要素の中でも、特に先験者(=障害者)と未験者(=健常者)同士の交流が少なく、お互いの経験や体験が共有されていないことが大きな阻害要素だと痛感しています。
このような現状を打開する具体策として、私はここに、先験者(=障害者)という貴重な社会資源を生かすため、新たに体験としての「障害福祉学」を打ち立てることを提言します。その学問体系には主に次の内容が組み込まれるものだと考えています。

* 現在日本社会で暮らしている先験者(=障害者)たちの実体験を人生の様々な節目の時期(例えば、幼児期・青少年期・青年期・壮年期・老後期)に分けて、個々人が直面している問題点をテーマ別に整理すること。例えば、就学、就職、恋愛、結婚、家庭生活、収入保障、生き甲斐など)
* この個々の実体験に基づいて、日本社会でよりよい生活を構築するために何が必要なのか、どのような構想が現実的に考えられるのか等、中長期的な展望が持てるような学問的体系を作り出すこと。
* 中長期的な展望や学問体系をただ単に作り出すだけに止まらず、それらの成果を行政改革や教育改革及び社会基盤の整備計画に反映するようにパイプを作ること。体験としての障害福祉学が現存する諸問題の解決に役立つような仕組みや機構を官民双方が協力して様々なレベルで創設すること。それらの仕組みや機構での活動を通して「先験者(=障害者)が抱える問題は普遍的な社会問題である」という共通の認識が得られるようにすること。

21世紀の日本的特徴を持つ福祉社会を構築し、実現させるため、われわれは『改訂版』に示されている世界の潮流を鋭敏に感じ取り、それに同調し、新たな進路を切り拓いていかなければなりません。それらの体験や活動成果はやがてわが国に新しい活力を与えるだけでなく、国際社会にも貢献することと信じています。
平成13年11月24日

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